体が重い。銀時は一人、夜のかぶき町を彷徨っていた。 地上のネオンに照らされて濁った紺の空に、鈍く星が瞬いている。見慣れた風景だった。 攘夷戦争を抜けて、全てを捨てて一人になって流れ着いた、粗暴で猥雑で、あたたかな町。失いたくないものを再び手に入れた町だ。けれどそこに、今夜銀時の帰る場所は無かった。 久しぶりに仕事がひと段落ついて、ようやく我が家に帰ってきたと思ったら、自分の居場所は知らない奴に奪われていた。その正体は源外に作られたカラクリで、名前は坂田金時という銀時自身をモデルにし、しかも銀時のコンプレックスを克服したパーフェクト人間だという。 そいつの洗脳電波にやられて、銀時の存在は全て金時に塗り替えられてしまった。新八や神楽をはじめ、銀時と関わりあった全ての人間が金時を受け入れ、代わりに自分を見知らぬ人間のように扱ってくる。頭のおかしくなりそうな現実に、体力も精神力もすっかり削り取られていた。 唯一自分を覚えていてくれたのは、人間ではないたまと定春だけ。そしてその両方とも、今ここにはいなかった。 『私も一緒に連れて行ってくれるなら』 銀時を励ますために、そう言ってくれたたまは一人で金時とやりあって意識を失ったままだ。 機能を停止したたまを源外に託して、銀時はその場を離れた。例え金時に洗脳されていようが、たまのことは源外が助けるはずだ。定春もそばについているので万が一金時に見つかっても連れて逃げてくれるだろう。 自分の周りはしぶとい奴らが揃っているのだ。あんなくらいでくたばるはずがない。銀時は自分にそう言い聞かせる。 思い返してため息を吐く。やるせない。家に戻らない間だって、別にサボって遊んでいたわけでもなく、真選組のゴタゴタに巻き込まれながらきちんと仕事をしていたというのに。 銀時はあてもなく歩いている内に、いつの間にかさっきたまと別れた橋まで戻ってきていた。たまの顔が浮かんで、欄干を掴む手に力が入る。 自分の居場所を奪われたこともきついが、何よりも、自分のために仲間が傷つくのはこたえる。怒りと、ふがいなさと。金時に対する怒りはもちろんだが、守れなかった自分自身にもどうしようもなく苛立った。 ――アンタが居なくてもこの世界は回る。しかもアンタが居た時より順調に。 金時の忌々しい声が耳の奥で甦った。 「うるせぇよ、くそっ」 口の中で呟く。すれ違ったオヤジがチラと銀時を振り返った。構うものか、どうせ誰も俺のことなんて覚えていないのだ。 行き交う人ごみの中、顔を上げると暗闇に点々と灯っている飲食街の灯りが目に染みた。そうだ、今夜の寝床を探していたのだった。銀時は自分が歩いていた目的を思い出した。 万事屋には戻れない。どこかで今夜の宿を見つけなければならない。 さすがにこの状態で、お金と引き換えに誰にでも優しくしてくれる女の人のところに行くほどの元気は無かった。吐き出すのは性欲ではなく泣き言ばかりになりそうだ。 持ち合わせもあまりないので、安い飲み屋ででも時間を潰そうか。知り合いには会いたくないので、できるだけ人がいないような、片隅で酔っ払いが一人潰れていても許してくれるような所がいい。 どこかさびれた店で、ひと晩やり過ごそう。そう思って、並んだ店に目をやる。何軒も似たような飲み屋が軒を並べる中で、一軒のスナックが銀時の目に留まった。 入り口に臙脂ののれんがかかっている地味な店だった。銀時は今まで訪れたことの無い店で、最近新しくできたのか、それとも地味すぎて今まで目につかなかったのかもしれない。 銀時がぼんやりと見ている間も出入りする客は無く、ひっそりとしたその店はとても繁盛しているようには見えなかった。ふらりと銀時はその店の前に立った。電気がついているので開店はしているようだ。 銀時は静けさに惹かれて、店の扉を開ける。中からも客の活気は感じられない。期待通りだと思った、その時。 「いらっしゃい」 中から聞こえてきたやわらかい声に、踏み出しかけた足がぴたりと止まる。聞き覚えのある声に、銀時はのれんを避けようと上げかけた手を空中で握りしめた。 「……さいあく。思いっきり知り合いだし」 あてが外れてしまった。銀時はどうしようかと少し迷って、結局のれんを持ち上げて中を覗いた。 「何してんの、ヅラ」 「ヅラじゃない、桂だ」 カウンターの奥にいた予想通りの姿からは、すぐに聞きなれたセリフが返ってきた。何度となく見慣れた女装姿で、桂はカウンターの奥から銀時を迎え、 「あ、ちがう。桂じゃない、ヅラ子だ。もしくはママと呼んでもいいぞ」 とつけ加えた。 「呼ばねぇよ、バカ」 のれんと同じ、臙脂の着物を着て片側で髪を一つに結った桂は、銀時を見てかすかに眉根を寄せた。 「ところで、どうして俺の名前を知っているんだ?」 その言葉に、やはり、と落胆せずにいられない。銀時のことなどまるで知らないというような他人行儀な視線が立ち尽くした銀時を刺す。 これだから知り合いになんて会いたく無かったのだ。昨日から何度も繰り返された反応だが、忘れられているという事実は繰り返し銀時の心にダメージを与えてくる。 しかも、よりによってこいつ。どう答えようかと迷って、銀時は無難そうな言い訳を口にした。 「お前指名手配犯だろ。そこら中に手配書が貼ってあるだろうが」 そう誤魔化すと、桂はなるほどと納得した。 「しかし俺の変装を見破るとは、貴様只者ではないな」 「……」 侍の目をしている、と言う桂に、銀時は何とも答えようがなく黙ってしまう。戸を開けたままその場から動かない銀時の様子に、桂が首を傾げる。 「そんな所でいつまで突っ立っているつもりだ?客なら入れ。まさか腹が減りすぎて動けないのか?」 銀時はいっそこのまま出て行こうかと逡巡して、結局店の中へと足を踏み入れた。 「焼酎水割り」 銀時はカウンターに腰かける。狭い店内には、カウンター席の他には座敷にテーブルが二つあるだけだった。 シンプルで簡素な店内は、余計な物が無いところが桂の隠れ家に似ている。銀時以外に他の客はおらず、店員も桂一人きりのようだった。 銀時の注文を聞いて、桂は戸棚から取り出したグラスに冷凍庫から取り出した氷を落とす。 「貴様名前は?」 「……坂田銀時」 「銀時……」 銀時は一瞬ためらって、正直に名乗る。桂がその音を確かめるように口の中で繰り返した。 「街が何やら騒々しいが、そうか貴様が金時に追われている男か」 やはり桂の元にも、金時が敵対している銀時のことを探しているという話は届いているらしい。 銀時は用心深く桂を見た。薄暗い照明が、うつむいてグラスをかき混ぜる桂の顔に陰影を作っている。銀時は自分を見ていない桂の、伏せた睫毛の影を見る。 「だとしたらどうすんの?ここにいるってアイツに通報する?」 銀時の問いに、桂は「別にどうもせんが」とあっさり言って、グラスの水滴を拭って銀時の前に置く。 桂は正面から銀時の顔を覗き込んだ。長いまつげに縁取られた、黒々とした水晶体が銀時を映す。 「ほう、確かに顔は金時にそっくりだな。だが髪は白くてフワフワだ。不思議な色だが、俺はこっちの方が好きだな。……それにしても、こうして改めて見ていると、まるで百年の知己のようになつかしい気持ちになる。不思議だな」 さわってもいいか、と桂が銀時の髪に手を伸ばした。いつもならばなにボケてんだと突っ込むところだが、今は苦い気持ちになるばかりだった。 |